今日は、「終わりは、閉じることではなく“視界が切り替わる瞬間”」という断片に触れていきます。
人は、何かが終わるとき、 そこに理由や意味を探そうとする。
続かなかったこと。 失ってしまったもの。 もう戻れない時間。
終わりは、ときに「間違いだった」という印のように感じられる。
けれど本当は、終わりは否定ではない。 それは、これまで見ていた景色が一度途切れ、 別の角度から世界が立ち上がる合図。
同じ場所に立っていても、 視界だけが静かに切り替わる。
そんな瞬間が、人生には確かに存在する。
▼ 今日のテーマとつながる作品
米津玄師『IRIS OUT』
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● “終わり”の中にある、曖昧な時間
『IRIS OUT』という楽曲は、 何かを説明したり、感情を断定したりしない。
むしろ、 「切り替わりの途中」そのものを音として残している ように感じられる。
はっきりした物語が語られるわけでもなく、 大きな盛り上がりが用意されているわけでもない。
ただ、ひとつの状態が終わり、 次の状態へ移っていく“曖昧な時間”が置かれている。
曲から伝わるのは、
- 前に進もうとする気持ち
- まだ動けない身体
この二つが同時に存在している感触。
どちらかを選ぶのではなく、 どちらかを否定するのでもなく、 揺れたまま時間だけが進んでいく。
それは私たちが日常で何度も経験する、 「決めきれないまま変わっていく」 という感覚に近い。
● レンズが切り替わる瞬間のように
まるで、長く使っていたカメラのレンズを交換する瞬間のよう。
一度ピントは外れ、視界はぼやける。 けれど、その不安定な時間があるからこそ、 次に映る景色は以前とは違う輪郭を持ち始める。
『IRIS OUT』が響かせているのは、 “ぼやけている最中”の時間。
終わりと始まりの境界が曖昧なまま、 静かに切り替わっていく視界。
● 日常にもある、言葉にできない終わり
私たちの日常にも、 理由をうまく言葉にできない終わりがある。
- 自然に離れていった人
- 続けられなくなった習慣
- もう戻れないと気づいた場所
そこに意味を与えられないまま、 ただ心の中に残っているものもある。
今日触れたのは作品のすべてではなく、 その奥にある象徴のほんの一部。
もし少しでも気になる余白が残ったなら、 作品そのものに触れてみてほしい。
ここでは語らなかった断片が、 別の角度から立ち上がってくる。
● 再抽象──終わりは視界が切り替わる瞬間
理解しようとしなくても大丈夫。
終わりは、説明されなくていい。 ただ「視界が切り替わった」という感覚だけを 心のどこかに置いておけばいい。
その余白が、 明日の景色をほんの少しだけ違う色で照らす。
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米津玄師『IRIS OUT』
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